先日のことです。
息子の歯の仕上げ磨きをしながら、「この(生え変わったばかりの)大人の歯は、おじいちゃんになるまで使おうねー。」と私が言いました。
シャカシャカ・・・
「おじいちゃんになって、ぼくが死んじゃうまで?」
う、うん。そうだけど。。。なんだか、言いにくいな。
「死んだらどうなるの?」
えっと。。たぶん、お空に行くんだよ。
「どうやって?」
え、、、ママも行ったことがないけど、、ふわふわお空に飛んでいくのかな?
「そこにはひいおじいちゃんも、ルーク(実家で飼っていた犬)もいる?」
そうだね、きっと、いるね。会いたいな。
「どうやって、会いに行くの?電車とかあるの?」
電車はないかなー。なんにもないんだよ。
「ひまになったらどうするの?」
ひ、ひま?
たぶん、ひまにはならないと思う。
「お腹すいたらどうするの?」
たぶん、お腹は空かないと思う。お腹は、ないから。
「え?どういうこと?」
体がね、全然ないの。お顔もね。
「じゃ、どうやってみんなに会えるの?ないなら、だれか、わからないじゃん。」
う・・・えーと、わかるんだよ。
そこにいたら、みんながわかるんだよ。
「ママに、会える?」
ママが先に天国に行ったら、〇〇くんのこと、待ってるね。
「お顔がないなら、わからないじゃん!」
ママにはわかるから!ぜったい。
「ママに会いたいよー」
いや、いま、ママは、まだ死んでないし。
というか、そのときはママじゃなくて、ほかの人に会いたくなるんだと思うけど。
涙を流しながら抱きついて聞いてくる息子に、どう答えたものか、言葉選びをしつつも、こんな風に死への恐怖を持っている息子。
死という、いずれ身近に起きてしまう事柄。
死というものへの恐怖を、穏やかに受け入れられるように、母はそばで見守る役目なんですね。いや、私だって、身近で起きたら穏やかになど受け入れられないというのに。
ゆっくり、時間が流れてくれますように。彼が、身近な死を体験するまで、もっと時間をください。
・・・そして、この話の間中、はやく自分の仕上げ磨きをしてくれ、と言って、眠くてぐずる娘。まだまだ、幸せな楽しい時間を過ごそうね。