年末に、タイに駐在している夫のところへ行き、こんな旅行も最後だねー、と過去に訪れた場所ばかりを選ぶ夫に、チャレンジ精神少ないなぁ、、と思いながらも、なじみのホテルをはしごしていた私たち。
バンコクの空港さえ、最初に訪れた不安から、すっかりおよその位置を把握している現在に、これが駐在ってことかぁ、、としみじみしていました。
なにせ、ゴールデンウイークくらいに帰るから、と告知があったので。
寝室をどうするのか、や、子供部屋と、夫の残した机やら本やら、をどう片付けるものかと思いながらも、今後の生活への覚悟を決めていたわけですが。
2月は、まだ、ふわふわと日本に遊びに来た夫とスキーをし、夫も日本食は持ち帰る必要ないやー、もう帰るもんねー、みたいな浮き立つセリフに、子供たちも「いつ?」と待ち望んデイいる様子でした。
まぁ、このときも、会社の方針で二週間の自宅待機を命ぜられたそうです。(タイ政府の方針よりも早めの対応。)
3月の卒園式を迎えるころ、これは、、、日本に帰ることはできないなぁ、入学式も無理かもなぁ、なんて話していたら、、
はい、卒園式も入学式も開催されることがありませんでした。(世田谷区の公立小・中学校は、入学式をしていません)
この姿、ないまま、大きくなっています。
そして、駐在をしている同じバンコク在住者も、家族がいる人達は、帰国する人もいたようですが、夫が後任者もいないというのに帰任する理由もないから、帰らなくてもいいかな?というので、賛成しました。
もともと、5年いますから、子供たちもそれほど抵抗なく、受け入れてくれました。
2歳になる直前に、父と暮らすことがなくなった娘ですが、パパ大好きでいてくれています。
これは、私の教育のおかげじゃないの?(笑)。
が、娘としては、卒園式もみてくれず、入学式も見てもらっていない、という気持ちのようです。(現実には、不可能だったのですが)
とりあえず、バンコクが6月末まで、空港を閉鎖することに決めたとのことなので、後任者がバンコクにたどりつくのも、夏ですよね。
そこから引き継ぎして、、となると早くても、8月?と言われました。
子供達は、6ヶ月以上パパに会えない可能性、、最長記録かな。かわいそうに。
はぁ。。
もう、どっちでもいいや。
大人がいない不安もあったわけで、夫がいることによる不自由さ、自由さ(夫に任せてさぼれるとか)を天秤にかけ、、、
世界はどうなっていくのでしょうか。
8月といっても、どれだけ、世界の動きは戻るのでしょうか。
もともと、夫はタイの近隣に出張を繰り返していたわけですし。
今後、そうした仕事ができないとなると、駐在の意味ってあるのでしょうかね。。。
小さな小さな、コロナウィルスが、世界をこれほど大きく変えてしまうなんて。
日本のパスポート、世界最強!なんて言っていた日々は、、、遠い昔のようです。